大学同期生たちの戦争体験記のweb新版(2019/07/11)を公開しました。
1945年8月15日 あなたはどこで何をしていましたか
昭和二十年それぞれの戦
七~八歳児の戦争体験記憶簿
執筆 東京工業大学1961年同期生 編集 向岳寮三六会
(序)昭和二十年それぞれの戦 目次・経緯
00・◆この戦争記憶簿作成の経緯
(1)昭和二十年それぞれの戦 01~10
01・伊達 美徳◆1945年8月15日あなたはどこで何をしていましたか
02・塚本 行◆濃尾平野の僻村で集った大人たちと終戦放送を聴いた
03・森 猛◆豊橋の空襲で焼け出された掘立小屋で敗戦を知った
04・MT T◆空襲と艦砲射撃の浜松で赤痢に罹って入院していた
05・原 和照◆東京から疎開した松江で玉音放送を家族で聴いた
06・K N◆香川県三本松町の自宅で敗戦放送を近所の人たちと聴いた
07・笠原 弘至◆満州の延吉で玉音放送を聴き混乱の中を助け合って引揚げてきた
08・N I◆朝鮮の平壌で敗戦を迎えて大混乱の中を苦労して引揚げてきた
09・山崎 嘉彦◆名古屋から岐阜県郡上郡に疎開していて敗戦を聞かされた
10・K A◆台湾で終戦を迎えて翌年に米軍駆逐艦で鹿児島に引揚げてきた
(2)昭和二十年それぞれの戦 11~20
11・瀧口 忠彦◆高崎から疎開した庄原で広島原爆投下の音を聞いた
12・NK Y◆行田で終戦の日を迎える直前に空襲に遭った
13・Y S◆台湾の田舎疎開先で敗戦の日を迎えてリュックひとつで引揚げてきた
14・M H◆茨城の田舎町で平和に終戦の日を迎えたが3年間も闘病生活
15・M S◆三次で終戦を迎えてその後の学校や社会の変化に驚く
16・X◆その頃の東工大Q研究室では風船爆弾研究をしていた
17・瀧口 忠彦◆父が校長だった高崎の女学校で風船爆弾を造っていた
18・原 和照◆風船爆弾の効果のほどはどうだったのだろうか
19・伊達 美徳◆風船爆弾はアメリカを恐怖におとしいれていた
20・辻田 勇二◆疎開先の鹿児島の山奥から長崎方面に原爆カボチャ雲を見届けた
(3)昭和二十年それぞれの戦 21~
21・NG Y◆桑名の家を空襲で焼かれ神明村で終戦放送を聴いて嬉しかった
22・F M◆長崎から疎開した佐賀で敗戦を迎え佐世保に移り米兵に出会った
23・原 和照◆多様な体験情報の交換で出会う前の同期生間に奇縁もあったと知る
24・伊達 美徳◆高梁盆地で疎開児童と聴く敗戦放送に大人たちは黙りこくった
25・K J◆奈良市内で玉音放送を聴き独特の抑揚の御声を記憶している
26・大竹 博◆小樽で子供の目で見た『私の8月15日』
27・森川 陽◆満州 新京から疎開した朝鮮 南市で玉音放送を聴いた
28・谷江 正舟◆戦争で家族がバラバラになり見附の叔父の家で終戦を迎えた(20190819掲載)
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