昭和二十年それぞれの戦(序)目次・経緯

1945年8月15日 あなたはどこで何をしていましたか
昭和二十年それぞれの戦
七~八歳児の戦争体験記憶簿
 

執筆 東京工業大学1961年同期生 
編集 向岳寮三六会

目 次
00・ 伊達 美徳◆この戦争記憶簿作成の経緯
昭和二十年それぞれの戦(1)01~10
01・ 伊達 美徳◆1945年8月15日あなたはどこで何をしていましたか
02・ 塚本 行◆濃尾平野の僻村で集まった大人たちと終戦放送を聴いた
03・ 森 猛◆豊橋の空襲で焼け出された掘立小屋で敗戦を知っ
04・ MT T◆空襲と艦砲射撃の浜松で赤痢に罹って入院していた
05・ 原 和照◆東京から疎開した松江で玉音放送を家族で聴いた
06・ K N◆香川県三本松町の自宅で敗戦放送を近所の人たちと聴いた
07・ 笠原 弘至◆満州の延吉で玉音放送を聴き混乱の中を助け合って引揚げてきた
08・ N I◆朝鮮の平壌で敗戦を迎えて大混乱の中を苦労して引き揚げてきた
09・ 山崎 嘉彦◆名古屋から岐阜県郡上郡に疎開していて敗戦を聞かされた
10・ K A◆台湾で終戦を迎えて翌年に米軍駆逐艦で鹿児島に引き揚げてきた
昭和二十年それぞれの戦(2)11~20
11・ 瀧口 忠彦◆高崎から疎開した庄原で広島原爆投下の音を聞いた
12 ・NK Y◆今の行田で終戦の日を迎える直前に空襲に遭った
13 ・Y S◆台湾の田舎疎開先で敗戦の日を迎えてリュックひとつで引揚げてきた 
14 ・M H◆茨城の田舎町で平和に終戦の日を迎えたが3年間も闘病生活
15・ M S◆三次で終戦を迎えてその後の学校や社会の変化に驚く
16・ X◆その頃の東工大Q研究室では風船爆弾研究をしていた
17・ 瀧口 忠彦◆父が校長だった高崎の女学校で風船爆弾を造っていた
18・ 原 和照◆風船爆弾の効果のほどはどうだったのだろうか
19・ 伊達 美徳◆風船爆弾はアメリカを恐怖におとしいれていた
20・ 辻田 勇二◆疎開先の鹿児島の山奥から長崎方面に原爆カボチャ雲を見届けた
昭和二十年それぞれの戦(3)21~27
21・ NG Y◆桑名の家を空襲で焼かれ神明村で終戦放送を聴いて嬉しかった
22・ F M◆長崎から疎開した佐賀で敗戦を迎え佐世保に移り米兵に出会った
23・ 原 和照◆多様な体験情報の交換で出会う前の同期生間に奇縁もあったと知る
24・ 伊達 美徳◆高梁盆地で疎開児童と聴く敗戦放送に大人たちは黙りこくった
25・ K J◆奈良市内で玉音放送を聴き独特の抑揚の御声を記憶している
26・ 大竹 博◆子供の目で見た『私の8月15日』
27・ 森川 陽◆満州・新京から疎開した朝鮮・南市で玉音放送を聴いた
執筆者たちの1945年8月時点の居住地

この戦争記憶簿制作の経緯

 昔々1960年ころのこと、東京工業大学の緑ヶ丘の緑濃い樹林の高台に「向岳寮」がありました。古色蒼然たる築30年の木造平屋板張り寮舎に、出身地も学年も専攻分野もさまざまな学生院生たち133人が、たまたまここで出会って1~2年間を共に暮らしました。後に60年安保世代と言われます。

 この世代は、日本の長期戦争時代さなかに生れ、もの心ついたら空襲から敗戦へ、貧困・激変・混乱期に少年時代が遭遇したのです。ようやく戦後復興が見えた頃に大学に入り、高度成長への兆しが見える頃の1961年3月、わたしを含む77名の同期生が、それぞれの道に寮を出て行きました。安保闘争敗退の影を引きずりながら……。
 
 そして今、その内の連絡つく54人は「向岳寮三六会」と名乗り、Eメールが通じる40人ほどが全員同時配信(メーリングリスト=ML)により同期会連絡、自画自著自賛、病気自慢、PCSOSなどの情報交流でネット時代人生を楽しんでいます。SNSやBLOGはごく少数ですが…。
 その寮同期生たち誰もが、どこにいても同時に体験した人生の大事件、それは七~八歳児だった1945年夏、日本の十五年戦争(日中、アジア太平洋戦争)の終結でした。 

 2014年夏ふと思いついて、「戦争が終った放送のあった1945年8月15日正午頃に、貴君はどこでなにをしていたか教えてほしい」とMLに書いたら、多くの仲間が応えて、敗戦放送日前後も含むそれぞれの戦争体験記憶が行き交いをました。内地空襲はもちろん、外地引き揚げの過酷な体験もあります。その月末にいったん締め切ってまとめましたが、その後も書き足されつつあります。

 そしてせっかく書いた貴重な記録なので一覧編集して、2018年「向岳寮36」ブログhttps://kgr36.blogspot.com/に掲載公開しました。つまりの1945年に七~八歳児だった大学同期生たちの戦争体験の記憶を、2014年以後に記録して集めたものです。
 2019年開催の1961年卒業生の同期会で、これを冊子として配布しました。

 あの戦争が終わってから、今もずっと地球上では戦争は続いているのに、「平成は戦争が無かった平和な時代」という世相です。わたしたちは今や、子や孫あるいは曾孫の世代に戦争体験談を語って聞かせるべきレジェンド爺です。過酷な時代を生きぬいた少年たちのさまざまな体験記が、世にどう役に立つのだろうか、いや実は役に立たないままがよいのだろうか、なにほどか悩みます。

 この戦争記憶簿の執筆者については、最初は大学寮の同期生に限っていました。それは大学寮同期生のMLから始めたからです。
 2019年月7月7日に全学科1961年卒同期会を開催、約10人の80歳を超えた仲間たちが集まり、この戦争記憶簿の冊子40部を作って配布しました。これを機に、同期生全体の体験談へとひろげる意図を持ちました。

 これを読んだ同期生たちの体験談の掲載を歓迎します。伊達宛にメールにて体験記をお送りください。(dateygあっとまーくgmail.com  あっとまーくを@に書き替えて)
         (2019年7月 伊達美徳:向岳寮36会ML管理人)


全編リンク先

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●編集履歴
・2014年8月:向岳寮36会MLで戦争体験記憶をメール交換し、その時点でまとめたファイルをMLメールで配布、執筆者20名、記事数24件。記事番号1~25:2014年8月15日~19年6月、向岳寮36会MLメール記事。
・2018年5月5日:戦争体験記録をまとめて編集、『昭和二十年それぞれの夏』と題して向岳寮36会サイトに掲載http://kgr36.blogspot.com/。この公開にあたって、執筆者それぞれの意向により、実名またはローマ字イニシャルとし、原文のまま発信順に並べた。
・2018年5月18日:第25番記事追加掲載、執筆者21名。
・2019年6月15日:第26番記事を追加掲載、執筆者22名。
・2019年7月7日:『昭和二十年それぞれの戦』と改題して冊子編集し、全学同期会にて40部印刷配布、向岳寮36会サイト掲載。
・2019年7月11日:第27番記事を追加掲載、執筆者23名。
・2019年7月14日:web新版を編集制作して向岳寮三六サイトに掲載公開
・2019年8月19日:第28番記事を追加掲載、執筆者24名
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